福家の信念
いわゆるハウスメーカーと呼ばれるものは戦前の日本にはありませんでした。
各地域に必ず大工さんがいて、家を建てる時はその棟梁にお願いするのが一般的でした。
よほど親戚に大工さんがいるような方でない限り、建て増しするときも、どこか壊れた時も、
近くの大工さんに頼むのが当たり前でした。
そのような大工さんは大抵一人か、せいぜい二人でやっていて当然仕事量にも限度がありますが、何か困ったことがあったら頼れる正に家の「かかりつけ医」のような存在だったわけです。
ところが、焼野原になった戦後の日本では早急に大量の住宅を造ることが求められました。
町の大工さんだけではとても賄えません。
そこで、手っ取り早く短期間で施工可能なシステムとしてハウスメーカーが生まれたのです。
ハウスメーカーは戦後の住宅供給に大きく活躍し、その後の日本人の家づくりの大きな選択肢の一つとなりました。
また、核家族化もハウスメーカーの繁栄を後押ししその結果、若い人たちの要望に応えられない町の大工さんは淘汰されるか、ハウスメーカーの下請け業者になりました。
ハウスメーカーはそれまで大工さんがほぼ一人でやってきたことを、多くの社員を雇い分業化することで効率を上げ量産することに成功しました。
「量産するために大量の社員を雇い、大量の社員を養うために量産する」
そうしてハウスメーカーは会社を大きくし、雇用を増やし日本経済の発展に寄与してきました。
しかしその後、日本経済は成長をやめ、人口は減少社会に向かいました。
その結果、どうなったでしょう?
今や日本は人が住んでいない家だらけです。
もっとも空き家が多いのは高齢化が一番の原因ですが、手間がかかる割にはさほど儲からないからと言ってリフォームをなおざりにしてきた建築業界にも責任はあります。
また、大量に売るために大々的な宣伝は不可欠です。 テレビ、新聞、ラジオ、折り込みチラシ、雑誌、今でしたらインターネット。
それらの広告宣伝費用は莫大で、それを転化することにより家の価格を大きく跳ね上げました。 価格を上げられないメーカーは原価を削減するしかありません。
はっきり言いますが安いものは材料も工事も安物です。
また、全国に点在する住宅展示場も大量販売には必要不可欠です。何社も建ち並ぶ展示ハウスは他社に引けを取るまいと少しでも見栄えの良いものにしなければなりません。自社の商品が売れるかどうかの瀬戸際です。金に糸目はつけられません。その結果、展示場の家はとても一般人が買えるような代物ではなくなり、それを知らない一般の方はまるで夢のような展示ハウスを見て感激し、自分もこんな家に住めると思い、契約書に印を押してしまうのです。展示ハウスが“おとりハウス”と言われる所以です。
そしてそうした展示場にかかる費用も広告宣伝費と同じく一般のお客さまが負担しているのです。
無駄だと思いませんか?
では、それらの無駄を削減する方法はないのでしょうか?あります。 真の経費削減です。ひとつは人員削減。もうひとつは広告宣伝費を削ることです。でもハウスメーカーには不可能でしょう。
前述したように「量産するために大量の社員を雇い、大量の社員を養うために量産する」のループを繰り返すばかりで、そのために莫大な広告宣伝費と住宅展示場は維持してゆくでしょう。また事業を縮小することは鎬を削ってきた競争に負けることになります。今後もハウスメーカーは大量生産を続けてゆくでしょう。しかしそれは今の時代に合ったビジネススタイルとは言えません。経済が縮小し人口が減っている日本には合わないのです。今の日本に合わせて小規模でなければなりません。
福家はスタッフが「たったの一人」です。
「たった一人で何ができる」ってお思いの方もいらっしゃると思います。ではなぜたくさんのスタッフが必要なのでしょう?そもそも家をつくるのは大工さんを始めとする職人です。何百人スタッフをかかえる会社でも実際、現場で作っているのは職人です。会社は指示を出すだけ。一人の会社も百人の会社もやることは変わりません。たくさん造ろうとするからたくさんのスタッフが要るだけです。
福家はたくさん造ろうと思っていません。一人だから、たくさん造る必要がないのです。もちろん、無駄な広告宣伝費や展示場にお金をかける事もありません。家を建てるのに必要な材料費や職人への工賃+私ひとりが食べていくのに十分な利益しか戴きません。
一人でやることのメリットはそれだけではありません。会社は複数で働くため決まりごとが多く、意思決定に時間がかかります。これは政治の世界もそうですよね。日本人の悪い所です。何かにつけプロセスを踏まなければ先に進めず、お客様に待っていただく事が多々あります。その点一人は実に楽です。何でも即決できますし、無駄な意思決定プロセスを省くことができます。
また、お客様のニーズが正確に反映できるのも大きな利点です。実は私が一番のメリットではないかと思っている所なのですが、ハウスメーカーのように大所帯になると、お客様の要望がうまく伝わらなくなるのです。お客様の要望がうまく伝わらず、現場に行くと見当違いなものになっていることがよくあります。これは、お客様から営業マン、営業マンから設計士、設計士から現場監督、現場監督から職人と、まるで伝言ゲームのように伝えていくため生じる分業制の欠点なのです。見当違いなものは造り直さなければなりませんし、そもそもこんな伝言ゲーム自体が無駄そのものです。
そしてもう一つの利点はフットワークが軽いことです。これは先に述べた意思決定プロセスの簡略化にも通じるのですが、暮らしに関するアクシデントは待ったなしに訪れます。どう対処すればよいか、社内で検討している間に取り返しのつかないことになってしまう場合もあります。また決められた時間に出社して決められた時間に帰宅、決められた曜日に休むサラリーマンとは違い、何の時間的な決まりがありませんので、お客様の都合に合わせて動くことができます。そのかわり忙しい時と暇な時のムラはありますが、それは仕方ありません。逆に何もすることがない時でもサラリーマンは出社して給料をもらうわけですが、その給料も家を建ててくれるお客様が負担するわけです。
他にも「たった一人」の利点はたくさんあります。それらのすべてにおいて共通することは”無駄が省ける“ということです。
福家はそうして省いた無駄の部分を100%お客様に還元します。
誤解のないように言っておきますが、ハウスメーカーが悪いと言っているわけではありません。戦後の日本人の住宅供給に大きく活躍したことは確かですし、経済の発展に多大な貢献を果たしたことは間違いありません。ただし、今は昔のように大量に家を造ることが求められた時代とは違います。多くの社員を雇い量産した家を売るために莫大な広告宣伝費をかけ、その費用をお客様に負担させる。今の時代に合った手法とはとても思えません。そして建てては壊し、新しいものをまた建てる・・・いわゆる「スクラップ&ビルド」のループは無限には続かないのです。
だから福家は、むやみに新築を勧めたりはしません。古いものを大事に使い、長持ちさせることは素晴らしいことです。増改築や改装工事は手間がかかりますが、意義のある仕事だと思っています。また、家は高額な買い物なのでついつい完璧なものだと思いがちですが、きちんと手入れをしなければ長持ちしません。メンテナンスフリーの家など無いのです。家の次に高額なものの一つに車がありますが、車にはちゃんと車検の義務がありますよね。ところが家にはそれに相当するものがありません。ですから自主的に手入れやメンテナンスをしなければなりません。
福家は建てた後も責任をもって家の手入れやメンテナンスのお手伝いをさせていただきます。かつて町の大工さんがそうだったように「家のかかりつけ医」のような存在でいたいと考えています。それにはやはりフットワークが軽くなければできません。これも「たった一人」だからこそ出来る利点の一つなのです。いかがでしょう?「たった一人」にはこんなに多くの利点があります。逆に多くのスタッフを抱える会社には多くの無駄も存在するのです。
福家は「たった一人」で、始めた建築会社です。
当然、福家としての実績は少ないですし、知名度も無いに等しいでしょう。しかし、30年以上培ってきた経験とノウハウは確実なものです。またその間に築いた人脈で、現場で働く職人さんはどこにも引けを取らないベテラン揃いです。かつての町の大工さんのような「フットワークの良さ」ハウスメーカーに負けない「提案力」「技術力」そしていっさいの無駄を省いたことによる「コストパフォーマンス」
それが30年間、住宅業界に身を置き、最後に導き出した理想の家造りです。「福家」はそんな家造りを実践していきます。